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Web magazine“Present” 広報誌「Present」Web版

2023年5月号掲載

世界からも注目の“和食”の歴史

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日本人にとって欠かすことのできない料理「和食」は、どのような歴史をたどってきたのか。健康面からも人気を集める和食の源流を見ていきましょう。

日本人の気質に基づいた食の習わし

2013年、ユネスコの無形文化遺産に、日本人の伝統的な食文化として「和食」が登録されました。

登録時のキーワードである「自然の尊重」からまとめられた和食の特徴として、次の4つが挙げられています。

日本の食文化は、南北に長い国土と四季の変化など、多様で豊かな自然に育まれてきました。

そして、全国各地でとれた地域特有のさまざまな食材が利用され、自然の尊重という日本人の気質に基づいて、それらの食材を生かした調理法などが生まれました。

こうした食材や調理法に支えられた食の習わしが、和食であるとされています。

和食と日本食は別物?

無形文化遺産に登録されたのは和食ですが、一方で日本食という言葉もあります。実はこれ、それぞれ別の食べものを指すことが多いようです。

和食には、明確な定義はないと言われますが、一般的には米を主食に漬物、汁、おかずを組み合わせた一汁三菜が基本です。

一方の日本食とは、「日本の風土や暮らしの中で独自に発展した料理」あるいは「日本で食べられている食事の総称」と言われます。

つまり、伝統的な和食を含め、カレーライスやラーメンなど、日本で独自にアレンジされ、日常的に食べられている食を含めて日本食と呼ばれることが多いようです。

日本人の主食である米の歴史は

和食を語るのに「米」は欠かせません。その米作りの稲作は、中国の長江流域で約1万年前に始まったとされています。

日本には、中国大陸または朝鮮半島を経由し、一般的に行われている水田での稲作は、約3000年前に北九州地方に伝わったと言います。

稲作はその後約600年かけて本州の北端まで広がり、動物や木の実などを採って生活する狩猟採集社会から、一か所に定住して共同で米作りをする農耕社会へと徐々に変化していきました。

一説によると、「宝」という言葉の語源は「田から」にあると言います。自然が育んだ田畑からの恵みこそ、かけがえのない宝物であると、日本人が考えていたことがわかる言い伝えです。

都市では米が主食となる

その後、米は税金(年貢)として使われたり、戦国時代には戦を支える大事な軍事物資としての役割も担いました。

江戸時代になると、米が経済の中心になります。幕府では、全国各地を治める藩の格付けを、米の収穫量で決めていました。つまり、米の収穫量が大名のランキングになったわけです。

各藩では、年貢として徴収した米を江戸や大阪に集めたうえで現金化し、その資金で必要な物資を調達しました。

こうして、江戸などの都市では大量の米が流通して主食となっていきました。一方で、農村部の人の多くは年貢として米を納めていたことから、一部の経済力のある農民以外は、十分に米を食べることはできなかったようです。

江戸時代は外食も花盛り?

江戸時代はまた、日本の食文化が大きく発展し、和食の原型ができあがった時代でもあります。

※江戸四大名物食と言われたにぎりずし・てんぷら・そば・鰻のかば焼き (出典:農林水産省Webサイト「うちの郷土料理東京都」より)

いま、私たちが食べている「握り寿司」「天ぷら」「蕎麦」「うなぎの蒲焼き」は、どれも江戸時代に誕生したもので、江戸四大名物食などとも言われています。

江戸は、都市として急成長したことで働く人たちが急増。さらに、参勤交代の武家もほとんどは単身赴任でした。

こうした背景から、自炊をせずに済み、力のつく食べ物を好む労働者などのニーズによって、寿司や蕎麦などの屋台で食べる外食が増えていきました。

江戸時代はまた、一日三食が定着した時代でもあります。そういった食習慣や庶民の食文化を含め、現代に続く和食の要素は、江戸時代に出揃ったとも言えるでしょう。

世界も認める出汁の旨味

和食を語る時に欠かせないのが「出汁」です。味付けや下味として用いられる出汁の元になる旨味成分は、グルタミン酸を多く含み、料理の味を引き立ててくれます。

宗教上の理由で長く肉食が禁止されていた日本では、魚・きのこ・野菜など肉類以外の食材が多く利用されてきました。

そのため、味付けにも工夫された結果、鰹節や昆布から取れる出汁が使われるようになりました。出汁が日々の食事の調味料として庶民の間に広まり始めたのも江戸時代のことです。

元禄年間に鰹節の作り方が確立されると、これを削って鰹節で出汁を取る調理法が始まり、江戸では鰹だしが基本となりました。その後、地域によって独自の出汁が使われるようになり、現在の出汁文化へとつながっていきます。

また、出汁の旨味は、甘味・酸味・塩味・苦味に続く、5番目の「基本味」として世界的に認められています。

外国観光客からも注目の和食

ユネスコの無形文化遺産に、和食が登録されたこともあってか、世界から日本の食文化が注目されています。おもてなしの心や健康面からも人気です。

データで見てみると、外国からの観光客が訪日前に期待していることのトップが、「日本食を食べること」でした。観光やショッピングを抑えてのトップとは、日本食への関心の高さが窺える結果です。それだけ、海外からも注目が高いということなのでしょう。

また、満足した食べ物では「肉料理」がトップで、「ラーメン」「寿司」が続いています。海外でSUSHIとして人気がある寿司だけではなく、ラーメンなども上位に入るということは、いわゆる「日本食」の裾野の広さを示しているのかもしれません。

世界の人たちから羨望されるほど多様な料理を日常的に味わえることは、日本人としてとても幸せなことではないでしょうか。食は生きる力の源でもあります。伝統と多様性にあふれる日本食を、これからも楽しんでいきたいものです。

column 家康の長寿の秘訣は粗食だった!?

大河ドラマで取り上げられ、あらためて注目の集まる江戸幕府初代将軍の徳川家康。
家康は、「長命こそ勝ち残りの源である」という言葉を残しているとおり、食生活による健康管理には気を遣っていたと言います。平均寿命が40歳を下回る時代に、ほぼ倍の75歳まで生きたことが何よりの証でしょう。
その健康・長寿のキーワードが「粗食」でした。日常的に食べていたものは、麦飯と大豆100%の豆味噌の味噌汁、漬物、イワシの丸干だったそうです。
麦飯は、脳を活性化させるビタミンB1や骨を丈夫にするカルシウム、高血圧を予防するカリウムが豊富に含まれ、豆味噌にはアルギニンという強壮効果のあるアミノ酸もたっぷりと含まれています。
こうした食生活によって天下を取り、約260年続く江戸幕府の基礎を作り上げたわけですね。

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