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Web magazine“Present” 広報誌「Present」Web版

2021年1月号掲載

36歳で難病になった夫。生命保険のおかげでこれからの長期療養費の準備ができ、安心しました

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お客様プロフィール

夫(41歳 闘病中) Tさま(41歳 会社員) 長男(20歳 会社員) 長女(18歳 大学生)

『視神経性脊髄炎』ー発症。3年前から長期療養生活に

今回ご登場いただくお客様は、徳島県在住のTさまです。Tさまのご主人は5年前、36歳のときに難病を発症され、現在も闘病中です。

「夫が最初に異変を感じたのは、目でした。仕事に支障がでるほど、ものが見えにくくなったのです。近所の病院では原因がわからず、大きな病院を紹介されました。さまざまな検査をした結果、診断は『視神経性脊髄炎』という聞きなれない病名でした」

視神経脊髄炎とは、主に視神経と脊髄、脳などの中枢神経をくり返し増悪する難病です。30~40歳代に多く発症し、日本の患者さんは4000人強(人口10万人あたり3.42人)で、女性の割合が非常に高いことが特徴です。

「夫は診断後すぐに入院治療しました。退院してからも、異変がひんぱんに起こり、入退院をくり返しました。それでも自宅で家族と過ごす時間はありました」

しかし3年前から、長期療養型病院での入院生活が始まりました。

「経済的にも精神的にも大変でした。子ども達は中学生と高校生だったので、私は昼間の仕事に加え、夜もパートで働きました」

当時のことを、ジブラルタ生命徳島支社鴨島営業所の山下美穂さんにお話を伺いました。

「ご主人の担当者が退職し、私が保全業務のためTさまにお会いしたのは、1年前でした。そのとき、ご主人の状況を知り、驚きました。それからはいろいろ調べ、会社と相談しながら4ヵ月後には高度障害に対する保障と保険料払込み免除の手続きができました」

Tさまにお話を伺いました。

「山下さんのおかげで給付金が受け取れ、夫の療養費の準備ができ、安心しました。私は夜のパート勤務をやめ、精神的、身体的に落ち着きました」

現在ご主人は、人工呼吸器を使用し、食事は流動食。会話での意思疎通が難しい状態です。また、新型コロナ感染症の拡大によって、2020年春から直接会うことができなくなりました。

「仕事や進学で子ども達が巣立ち、それぞれが一人暮らしをしています。以前のように家族みんなで夫に会いにいけるよう、コロナ収束を祈っています」

Tさまご夫婦のこれまでの道のりと生命保険への思いをお伺いし、山下さんのお話を交えて、ここに紹介させていただきます。

15歳で出会い、20歳で「初恋結婚」

Tさまとご主人は、同じ年齢。出会いは、高校1年生のときでした。お互いの友人達とともに、にぎやかで楽しい青春時代を過ごしました。5年間の交際を経て、20歳で結婚。たくさん人たちからの温かな祝福に包まれた、初々しい「初恋結婚」でした。

「結婚の翌年に長男、その2年後に長女に恵まれました。若くして4人家族の大黒柱になった夫は、仕事をがんばってくれました」

建築関係の仕事をするご主人は、人一倍の努力家で、やがては自営業を立ち上げたほどの実力の持ち主です。

「夫は、家事と育児は私に丸投げでしたが(笑)。家族のために一生懸命な姿は、とても頼もしく、長男も長女もお父さんが大好きな子どもに育ってくれました」

風邪もめったにひかないほどの健康自慢のご主人が、生命保険に加入したのは、Tさまのお母様からの勧めでした。

「母は、父が大きな病気をしたとき、生命保険に助けられたという体験がありました。そこで私たち夫婦に、『子ども達のために加入したら?』とアドバイスしてくれたのです」

20代のTさまご夫婦は、「私たちは若いから、まだ必要ないかな?」とも思いましたが、Tさまはお父様の闘病生活を覚えていたこともあって、加入を決めました。

「私は子ども達が幼い間は、家事と育児に専念していましたが、小学生になった頃から、現在も勤務している会社で働き始めました。毎日、目の回るような忙しさでしたが、すくすく育つ子ども達の成長が私たち夫婦の励みでした」

幸せな日々の中、ご主人は36歳のときに、体に異変を感じたのです。

昼の仕事と夜のパート勤務家族のためにダブルワークの日々

ある日、仕事から帰宅したご主人が、「視野が一部欠けているみたいで、ものが見えづらい」とTさまに訴えました。

「仕事に大きな支障が出る前にと、夫は近所の病院を受診しました。そこでは原因がわからず、大きな病院での検査を勧められて、視神経脊髄炎と診断されました。健康そのものの夫が、なぜ難病になってしまったのか・・・・・・。私たちは呆然とし、しばらくは病気を受け入れることが難しく、つらかったです」

視神経脊髄炎は、どのような人に多く発症するのかわかっていません。発症の原因は、異常な免疫反応です。急性期治療では、免疫を抑制する治療が行われ、症状を抑えます。急性期治療は早期にすることが重要といわれています。

「夫は診断後すぐに入院して治療しました。免疫抑制薬の点滴では症状が改善しなかったので、血漿交換までしました」

血漿交換とは、血液を一時的に体外に取り出し、血中の異常な物質を取り除いてから体内に戻す方法です。

「退院後は自宅に戻りましたが、痛みの症状が現れたり、体調が悪くなったり。2年間は、入退院をくり返しました」

当時、生命保険の入院給付金は、支払い限度日数まで受け取りました。ご主人の病気は医療費助成の対象になる「指定難病」ですが、経済的な負担はTさまの肩にずっしりとのしかかりました。

「私は夜の短時間パート勤務も始めて、ダブルワークの日々でした。そして、3年前から夫は、長期療養型病院での入院生活になり、経済的にも精神的にもますます大変になりました」

Tさまの心の支えは、お子様たちの存在でした。ご長男は高校を卒業して県外の会社に就職。家から離れ、一人暮らしをスタートしました。

「初めてのお給料でおいしい食事をごちそうしてくれました。とてもうれしかったです。もしかしたら、長男は進学希望だったかもしれませんが、わが家の状況を理解してくれていたのでしょう」

ご長男から「母の日」にプレゼントされたピアスは、Tさまの宝物になりました。

家族みんなで会える日を心待ちにしています

ご長男が新生活をスタートした頃から、ご主人の病状は悪化しました。

「長男は『お父さんの介護のために仕事をやめて家に帰ろうか?』と言ってくれました。でも、『大丈夫。仕事を頑張ってね』と伝えました」

Tさまはご主人の回復を願い、ダブルワークと家事、そして看病と気丈に毎日を過ごしていました。当時のことを山下さんにお話を伺いました。

「Tさまに直接連絡がとれるまで1年ほどかかりました。やっとお会いできたときに、ご主人は難病で長期療養型病院に入院中という状態を知りました。私はシングルマザーなので、母親1人での子育ての苦労も友人のように話せました」

Tさまも「山下さんはとても話しやすい方で、心にしまっていたことや子どもたちのことを伝えることができて、ほっとしました」と、初対面の印象を語ってくれました。

「ご主人は障害状態に該当し、障害給付金請求と保険料払込み免除の手続きをしました」

Tさまにお話を伺いました。

「山下さんのおかげで給付金を受け取ることができ、経済的に助かりました。夫の入院はこの先どれくらい続くかわかりません。その費用の準備ができて、安心しました」

そしてもう一つ、希望の光が灯りました。ご長女の努力のかいがあり、2020年春、現役で大学生の仲間入りをしました。

「リモート授業が続きましたが、秋からキャンパスに通えるようになりました。一人暮らしをしながら頑張っています」

2年前からご主人は会話での意思疎通ができなくなりました。

「最後の会話は、『病気が治ったら、家族みんなで出かけたいな』でした。今はコロナ禍で病院に行けず、夫に会えないことが寂しいです」

現在は、ご長男やご長女と一緒に食事をすることを張り合いに仕事を頑張っていらっしゃるTさま。家族3人でご主人と会えることを心待ちにしています。

最後に山下さんにお話を伺いました。

「保全業務では、直接お会いすることを大切にしています。Tさまともいろいろなお話ができたことで、障害給付金の手続きができました。本当によかったです。これからも多くの皆様に、生命保険は死亡保険金だけではなく、生きているときにも活用できることをお伝えしていきたいです」

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