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Web magazine“Present” 広報誌「Present」Web版

2021年7月号掲載

47歳で乳がんを発病。生命保険と温かい周りの人たちのおかげで万全な治療ができました

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お客様プロフィール

父(76歳) Yさま(51歳 会社員)

元気に働く姿が母への最後の親孝行

今回ご登場いただくお客様は、高知県在住のYさまです。Yさまは4年前、職場の定期健康診断で、乳がんの疑いを指摘されました。

「私は毎年春に行われる健康診断では、乳がん検診も欠かさず受けていました。18歳で入社以来、健診結果には問題がなかったのですが、47歳のとき、右の乳房に腫瘍が見つかったのです」

精密検査の結果は、ステージ2の乳がん。ところが周囲が驚くほど、Yさまは冷静に病気を受け止めました。

「当時、母がすい臓がんの治療中だったので、がんについて徹底的に調べていました。そのことが、結果的に予習になったのでしょう。もし、母の病気がなかったら、『がん』という病名だけで、不安に押しつぶされていたかもしれません」

住友生命高知支社南国黒潮支部の田中純子さんにお話を伺いました。

「Yさまとは、25年以上の長いお付き合いです。『がんかもしれない』と連絡があったときは、間違いであってほしいと思いました」

Yさまにお話を伺いました。

「田中さんは、親と同じくらい私のことを考えてくれる、大切な存在です。手術日が決まったと電話をすると、すぐに職場に駆けつけてくれました。生命保険の手続きをしながら、『初期のがんだから、手術して切除すれば大丈夫よ』と言葉をかけてもらい、勇気づけられました」

術後しばらく自宅で療養し、仕事復帰しました。その後の抗がん剤治療、放射線治療は、通院で受けられ、仕事と両立できました。

「現在は、飲み薬によるホルモン薬治療をしていますが、それもあと1年で終了します。すべての医療費が生命保険で保障されたので、万全な治療ができて本当によかったです。残念ながら母は、天国に旅立ちましたが、元気に仕事復帰した姿を見てもらえました。それが、最後の親孝行になりました」。

Yさまご家族のこれまでの道のりと生命保険への思いをお伺いし、田中さんのお話を交えて、ここに紹介させていただきます。

両親と3人暮らし。甥と姪に囲まれたにぎやかな日々

高校卒業後、Yさまは地元の会社に就職。仕事に慣れたころ、両親からの勧めもあり、生命保険に加入しました。

「会社の同期たちも一緒に加入しました。担当の田中さんは、2ヵ月に1回ぐらい職場に訪れ、生命保険のことだけでなく、貯蓄や年金などについて、わかりやすく説明してくれました。気軽に相談もでき、いつの間にか親戚以上のお付き合いになりました」

田中さんにお話を伺いました。

「偶然にも、ここ数年でYさまのお父様やご親戚の担当を受け継いだこともあり、まさにご家族ぐるみのお付き合いになりました。Yさまは大らかで明るく、ご家族や職場の方たちと、温かな人間関係を築かれています」

Yさまにお話を伺いました。

「私は三姉妹の長女で、両親と5人家族。妹2人が結婚してからは、3人暮らしになりましたが、妹たちの家は実家からスープの冷めない距離。それぞれ3人の甥や姪に恵まれ、家族が増えました」

にぎやかなご家族の中心にいたのは、お母様でした。

「母は、仕事人間の父を支えながら、私たち三姉妹をのびのび育ててくれました。料理上手でやさしく、6人の孫たちにも温かな愛情を注ぎ、とても慕われていました」

そんなお母様の体調に異変があったのは、お母様が70歳のときでした。

「受診したときには、すでにすい臓がんのステージ4でした。すぐに手術は難しい状態で、抗がん剤治療でまずはがんを小さくするという治療法を医師から伝えられ、父をはじめ家族全員が言葉にならないほどのショックを受けました。それからは、妹たちと協力して通院や家事をサポートしました」

お母様は、治療を受けながら普段どおりの家事ができるほどお元気になり、穏やかな日常を取り戻しました。家族全員がほっと胸をなでおろしたころ、Yさまの乳がんが判明したのです。

独身には経済的な安心感が重要だと実感!

乳がん検診は、医師による乳房視触診検査、乳房専用のレントゲン検査(マンモグラフィー)、乳房超音波(エコー)検査があります。Yさまはこの3種類すべてを併用して、毎年受けていました。

「前年まで何もなかったところに腫瘍が見つかったのです。病院での精密検査で『乳頭腺管がん』と診断されました」

キノコ状(乳頭状)に発育するため「乳頭腺管がん」と呼ばれ、乳がん全体の約20%を占めています。リンパ節転移を起こしにくい、最も予後の良いがんといわれています。

「私の場合も転移がなく、比較的早期に発見されたことが幸いしました。腫瘍を切除するだけの手術ですみ、乳房は温存できると言われほっとしました」

手術は診断3ヵ月後に決定しました。

「医師による、手術を含めた治療法の説明には、妹たちが同行してくれました。私たちは母の闘病を身近で体験しているおかげで、がん治療の心構えができていました。自分でも驚くほど、淡々と受け入れることができました」

田中さんにお話を伺いました。

「Yさまは生命保険に加入してから2回見直しをされました。実は、2回目の見直しの1年後に、乳がんが見つかったのです」

Yさまにお話を伺いました。

「田中さんの勧めで見直していたおかげで、保障が万全でした。独身の私にとって、いざというときの経済的な安心感は本当に重要だと実感しました」

2泊3日の入院で手術は無事に終えました。お母様は闘病中にも関わらず、手術日には病院に駆けつけたそうです。

「家族たちに囲まれて、不安はありませんでした。本当にありがたかったです。退院後は自宅で1ヵ月療養しました。そのときも両親や妹たちに助けられ、ゆっくりできました。職場に復帰できたときは母もうれしそうでした。同僚の方たちからも温かく迎えてもらえ、とても感謝しています」

母の葬儀の日にウィッグを外した

がん治療は手術すれば終わりではありません。Yさまも退院後、通院による抗がん剤治療が始まりました。3ヵ月かけて4回行われました。

「日帰りの点滴治療ですが、治療後3日間ほどはだるさがあり、仕事は休ませてもらいました。副作用の吐き気は、薬で止められたので助かりましたね。髪の毛は治療3回目から、ばさばさと抜けていきました」

Yさまは、抗がん剤治療前に、脱毛に備えて、ウィッグを準備していました。

「妹と一緒にデパートに行ったので、あれこれ試しながら、ショッピングを楽しむ気分だったのでよかったです」

お母様が抗がん剤治療で脱毛したときは、寒い季節だったこともあり、ニット帽でカバーしていたそうです。

「茶目っ気がある母は、私のウィッグをつけて鏡を見ながら、『これはいいわね。似合うでしょ?』と楽しそうでした」

抗がん剤治療の次は、放射線治療でした。

「病院に朝一番で予約を入れて、10分ほどの放射線照射をして、仕事に向かいました。土日を除いて、16日間通院しました。職場の人たちからは、『遠慮しないで仕事を休んでもいいのよ』と声をかけてもらいましたが、普段どおりに仕事ができました」

Yさまの放射線治療を終えたあたりから、お母様の体調が徐々に悪くなっていきました。

「母は結局手術ができませんでした。通院治療を続け、自宅では家事をして、普通の生活を心がけていました。ところが腹水がたまりはじめ、入院しました」

Yさまご家族は、自宅で緩和ケアができるように準備をしましたが、叶うことなくお母様は家族に看取られて天国へ旅立たれました。

「亡くなる1ヵ月ほど前まで、トイレも自分で行けるほどでした。私たちの手を借りず、最後の最後まで見事でした」

お母様の葬儀の日、Yさまはウィッグを外しました。

「ウィッグは、外すタイミングが難しいのですが、母に背中を押してもらえたような気がしました」

Yさまは現在、お父様と二人暮らし。仕事と主婦の役割を両立しています。「父の健康を守りながら、妹たち家族とも変わらず楽しく過ごしています。生命保険は、保険料が免除になった分、年金型保険を厚くして、老後に備えています」と明るくお話してくれました。

最後に田中さんにお話を伺いました。

「Yさまは定期的ながん検診で早期発見ができた上、万全な治療を受けられて本当によかったです。がん治療は医学の進歩とともに、進化していますが、それだけ医療費も高額になります。これからもますます生命保険が重要になることを、多くのお客様に伝えていきたいです」

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