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Web magazine“Present” 広報誌「Present」Web版

2023年3月号掲載

71歳で喉頭がんを発症。長年妻任せだった生命保険の重要性を実感しました

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お客様プロフィール

Sさま(73歳 電気工事業) 妻(73歳 主婦) 長男(37歳 会社員) 次男(35歳 会社員)

仕事を続けながら3ヵ月間の放射線治療

今回ご登場いただくお客様は、東京都在住のSさまです。Sさまは71歳のときに喉頭がんを発症しました。
「年末の忙しいときに喉の調子に違和感がありました。様子を見ていたのですが新年を迎えてもよくならなかったので、近所の耳鼻科を受診したところ、がんが見つかりました。幸い早期発見でした」

朝日生命保険相互会社東京西統括支社学芸大学営業所の宮原苗子さんにお話を伺いました。
「Sさまとはご家族も含めて30年以上のお付き合いです。Sさまは、70歳を過ぎても健康そのものでしたので、がんと診断されて驚きました。治療中も普段と変わらず仕事を続けるほど、心身ともにタフな方です」

実は、Sさまのお母様は宮原さんの仕事の大先輩。さらにSさまの奥様は元仕事仲間です。
「奥様が10数年前に退職されてからは、Sさまご家族の生命保険はすべて担当させていただいています。私の職場も自宅も同じ地域なので、親戚のようなお付き合いをさせていただいています」

Sさまにお話を伺いました。
「宮原さんには長男家族も次男も、家族全員の保険をお願いしています。気楽になんでも話せる関係で、私の体調についても妻と一緒に心配してくれました」

がんは通院して放射線治療を受けました。寒さ厳しい1月から始まり、桜咲く4月に無事に終了しました。
「がんと診断されたときはさすがにショックでしたが、放射線治療だけだったので仕事を続けることができました。医療費については生命保険ですべて賄えました。保険関係はずっと妻任せだったのですが、改めて重要性を実感しました」

現在は仕事の傍ら、近所に住むお孫さんの育児をご夫婦でサポートしています。Sさまは保育園の送り迎えや週末の遊び相手などを担当しています。2023年秋にはご次男の結婚式が予定され、ますますにぎやかなS家となりそうです。

Sさまご家族のこれまでの道のりと生命保険への思いをお伺いし、宮原さんのお話を交えて、ここに紹介させていただきます。

母も妻も家事・育児をしながら生命保険の営業職員

Sさまは2歳年上のお兄様とともに、電気工事業の会社を経営しています。
「父が創業した会社です。私も兄も学校卒業後すぐに父とともに働き始めました。日本経済が好調だった頃は、全国に出張して休日返上の日々でした」

Sさまご兄弟が幼い頃から、多忙な家業をサポートし、家事、育児を一手に引き受けていたのはお母様でした。
「昔気質の父は自分の仕事以外はすべて母任せでしたが、母は生命保険の仕事もしていました」

お母様は仕事仲間やお客様など多くの方々から信頼されていたそうです。
「世話好きでお見合いのセッティングまでしていました。仕事や付き合いだけでなく家のことにも手を抜かず、70代半ばまで生命保険の仕事をしていました」

勇退後も変わらずお元気で過ごされていましたが、お別れは突然でした。
「82歳のときに体調を崩して病院を受診したところ末期のがんでした。その2週間後に亡くなりました。数年後、父は母のあとを追うように亡くなりました」

お父様が創業された会社は、Sさまご兄弟が力を合わせて盛り立てていきました。奥様も家事、育児をしながら、なんとSさまのお母様同様、生命保険の仕事を始めました。

宮原さんにお話を伺いました。
「奥様をスカウトしたのは私です。明るくてコミュニケーション能力が高く、誠実な仕事ぶり。20数年間多くのお客様から信頼され、60歳で退職されました」

奥様が退職されたあとは、宮原さんがSさまご家族の生命保険をすべて担当。公私ともにますます仲が深まりました。

Sさまは息子さん達がかつて参加していた地域の少年野球チームの監督を任されていました。

宮原さんにお話を伺いました。
「私の息子は別のチームでしたが、試合などでSさまと顔を合わせていました」

地域密着、家族ぐるみのお付き合いならではのエピソードです。

「放置していたらがんになっていたよ」
60代半ばで大腸ポリープを切除

近年、Sさまの仕事は地域中心にシフトされ、商店街などのお知り合いが増えました。町中で少年野球チームの子どもたちを見かけ成長した姿に目を細めることも多いそうです。
「父母の方たちとも長いお付き合いになりました。今でも現場で仕事をしているとよく声をかけられます」

公私ともに地域で活動できていたのも、健康に恵まれていたたまものとSさまは言います。ところが60代半ば頃、周りから「痩せたけど、大丈夫?」と心配して声をかけられるようになりました。
「自分では意識していなかったのですが、何人もの人が『痩せた』と言うので、試しに体重を測ると短期間で6kgも減っていたのです」

近所のクリニックを受診したところ、大腸にポリープが見つかりました。
「9㎜のポリープが10個ぐらいありました。医師に『放置していたらがんになっていたよ』と言われました」

このときは1泊入院での手術でした。
「長年加入していた生命保険の入院給付金で初めて医療費が賄えました。手続きなど宮原さんにお世話になりました」

宮原さんにお話を伺いました。
「手続きしたときに奥様と『がんでなくてよかったね』と胸をなでおろしました。治療後は、以前と変わらず精力的に仕事をされていました」

それから数年後、ご近所に住むご長男夫婦にお孫さんが誕生しました。Sさまにお話を伺いました。
「共稼ぎの長男夫婦にとって初めての子ども。妻は退職していたので、孫育ての手伝いを楽しそうに始めました」

喉頭がんが見つかったのは、71歳のときでした。
「仕事が一段落した年末、兄と話していたら途中で声が途切れるような感じがあったのです。あれ、なんかおかしいなと感じたのですが、しばらく様子を見ることにしました」

新年を迎えてしばらくしても、同じような声の途切れがあり、長年通っている耳鼻科を受診しました。

「昔馴染みの医師に冗談のように『喉頭がんかな?』と尋ねたところ、『紹介状を書くから大きな病院で検査して』と言われ、驚きました」

33回の放射線治療で元気を取り戻した

Sさまは、ご自宅から自転車で10分程度の距離にある医療センターで検査を受けました。
「喉頭がんの初期でした。担当医師から『十分治療できるから大丈夫』と言われ、ほっとしました」

ご家族も安心され、奥様は宮原さんに連絡をして生命保険の手続きをしました。
「治療は放射線のみと言われました。抗がん剤治療と違って副作用もないだろうと少々軽く考えましたが、33回も照射すると聞かされてびっくりしました」

治療当初、Sさまは食事が飲み込みにくく、おかゆを食べていました。照射された箇所は赤く腫れてやけどのようになり、薬を塗布。その後は黒く日焼けしたような感じになったそうです。
「初期とはいえ、やはりがんの治療は大変です。ただ、私の場合は仕事ができるほどの体力や気力があったのでありがたかったです」

喉の痛みは徐々に取れ、普通に食事ができるようになりました。平日はほぼ通院し、3ヵ月後に治療が無事終了しました。Sさまは、がんは手強い病気と改めて考えさせられたそうです。
「がん診断給付金や通院給付金など手厚い保障は、経済的にも精神的にも助かりました。今後、再発したとしても生命保険に加入しているので安心です。妻と宮原さんに感謝しています」

すっかり元気になられた現在は、「息子たちは違う職業を選んだので兄とともに引退時期を考えていますが、できる限り仕事を続けていこうと思っています」と、Sさまは意気軒高です。

毎週末にご長男家族と食卓を囲むSさまは、「コロナ禍では保育園の休園などで孫と過ごす時間が長く、ますます仲が良くなりました」と目を細めます。

最後に宮原さんにお話を伺いました。
「がんは治療期間も長くなり、経済的な負担も重くなります。また近年は、がん治療は先進医療など選択肢が広がりましたが、その分医療費も高額になる可能性が高くなります。最善の治療を尽くしていただくためにも、生命保険をお役立ていただきたいと思います。これからも多くのお客様に時代に合った生命保険をご提案してまいりたいと思います」

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