東京都 東京大学
教育学部附属中等教育学校
一学年 笹川 遙琉(ささがわ はる)
十五年前、父が母の実家に結婚の申し込みに行った。
緊張している父に祖母が告げた第一声、それこそがまさに
「あなた生命保険には入っているの?」
だったそうだ。今では笑い話となっているが、当時の祖母はもちろん真剣だ。
大事な娘が結婚をする。これから新しい家庭を作ろうとしている、そんな時に真っ先に出た祖母の言葉は最も重要なことであり、娘を想う母としての愛情ある一言だったと思う。
家族で生命保険について語ると話が尽きない。七十六歳になる祖父は、
「今まで大きな病気を一度もしたことがないから、まだお世話になっていない。」
と得意気に話す。とても嬉しそうだ。
父は三年前に手の手術をしたことがある。僕も急に呼ばれて、すぐ病院に行くと、すでに手術が始まっていた。
「あの時は仕事も数カ月できなかった。手術代のこともあったし何より突然過ぎたから本当に助かったんだよ。」と父。
生命保険の話をすると、みんな安心したような表情になるのは、なぜだろう。
みんな笑顔で話す。そして懐かしい昔話になる。
どんな時でも共にしてきたということなのだろうが、うちの家族だけでも、このように歴史を感じる生命保険。
一体いつから、その存在はあるのだろうか?
明治維新の一年前、一八六七年に福沢諭吉が著書の中でヨーロッパの「近代的保険制度」を紹介したことがきっかけだった。
一八八一年には門下生の阿部泰蔵らが日本で最初の保険会社であり現在も経営が続いている「有限明治生命保険会社」を設立。その後、次々に保険会社が誕生したそうだ。
生命保険の生みの親が福沢諭吉だったという意外な事実に驚いた。
この頃は、「人の生死によって金儲けをするのか」と誤解され一般に普及されるまで時間がかかったという。かたちとしては、生命保険とは〝お金〟ということになってしまうのだが、それはいやらしいお金だろうか?
両親は祖母にあの一言を言われるまで保険について深く考えたことはなかったそうだ。結婚を機に生命保険に加入し、僕が生まれるとすぐに学資準備のための保険に入った。
単に〝お金〟が入るから生活が安心だということではない。家族を想う〝優しさ〟に見えた。
家族といつまでも幸せに暮らしたい。
でも長い人生では、いつ何が起きるかなんて本当に分からないんだ。びくびくしながら過ごしていくわけにもいかない。
僕たちは何かあった時しか生命保険の存在を思い出さないけれど、それは逆に考えればすごいことで何か起きたらすぐに思い浮かぶ、とても頼もしい存在だ。
これからも常に寄りそってもらいながら僕は精一杯成長していきたい。
祖母から両親へ、そして両親から僕へとつながる生命保険への想い。
大げさなことではなく、これは代々つながる家族への愛情表現だ。